MajiのADHDブログ

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【2 三輪車で走り出せ!!】 親を知らない僕の話

 

 

 

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施設の職員から

愛情をたくさん

受けて育った僕は、

 

 

 

 

聞いた話ではありますが

相当やんちゃな

子どもだったそうです。

 

 

 

そしてある日のこと、

僕は施設の中で

三輪車に乗って遊んでいました。

 

 

 

僕は三輪車を漕ぐのが

相当早かったそうで、

事件は起こります。

 

 

 

 

職員が少し目を離した隙に、

好奇心の塊である僕は

 

 

 

 

なんと施設の外に

 

しかも三輪車で

 

疾走していったそうです。

 

 

 

 

しかもこれは1度ではなく、

 

2~3回ほど僕は

脱走していたそうで、

 

 

 

その頃の職員が

どれだけ青ざめたことか

 

 

今では想像できます   (笑)

 

 

 

そんなことも色々あって、

施設の職員に可愛がられながらも時には青ざめさせながら幼少期を過ごしました。

 

 

 

この時の僕は知りませんが、

 

僕はハーフで

父親の方が外国人だったそうです。

 

 

そのせいもあってか、

僕は幼くして他の子よりも

かなり力が強かったらしく、

 

 

 

職員もその力の強さには

手を焼いていたそうです。

 

 

 

どのくらいの強さかというと、

 

 

 

 

マックを食べに行くことに

なっていたある日のこと、

 

 

嬉しくて

はしゃぎすぎた僕は職員から

 

 

 

「悪い子は連れていかない!!」

 

 

と言われてしまい、

 

とにかく泣きわめき、

 

 

幼稚園生にして

窓ガラスを蹴破った

こともあります。

 

 

 

その時の記憶も鮮明で、

 

 

なぜなら蹴破った

窓ガラスで足を切り、

 

 

自分の足が

血だらけになるのを見て

怖くて泣いたからです。

 

 

 

結局その後マックには

連れて行ってもらえました。

 

 

職員、優しすぎです  (笑)

 

 

 

 

 

今回はここで終わりにします。

 

 

 

次回   3   施設兄弟

 

 

 

 

次回も是非読んでください!!